あなたはなぜ、金の斧ではなく「普通の斧」を選び続けてきたのか

――成功を止めていた、幼い頃からの刷り込み

前回の記事では、なぜ拓さんの話は、失敗してきた人にも信頼されるのかについて書きました。

結果が出なかったとき、多くの人は、

「もっと努力すればよかった」

「途中で諦めた自分が悪かった」

「やっぱり、私の行動力が足りなかった」

と、自分を責めます。

そんな人に対して拓さんは、さらに「努力が足りなかったんですよ」「もっと頑張るしかないですよ」とは言いませんでした。

代わりに、

  • 扱っていたものが悪かったのかもしれない
  • やり方を知らなかったのかもしれない
  • そもそも前提が違っていたのかもしれない

と、別の角度を渡したのです。

すると、聞いていた人の中で、

「あのときの私が、全部悪かったわけじゃなかったのかもしれない」

という感覚が生まれます。

誰かに許されたのではなく、自分で自分を許せる瞬間が訪れる。

だから、「もっと早く聞きたかった」「その話なら信じられる」という言葉が出てくる。

ここまでが、前回のお話でした。

でも、対談はここで終わりませんでした。

むしろ、ここから一気に面白くなっていったんです。

なぜ私たちは、

  • お金が欲しい
  • 豊かになりたい
  • 楽をしたい
  • 人より飛び抜けたい
  • 自由になりたい

という気持ちを、こんなにも言いにくいのか。

なぜ、欲しいのに「欲しい」と言えないのか。
なぜ、稼ぎたいのに、わざわざきれいな理由をつけたくなるのか。

その話が、まさかの――

「金の斧・銀の斧」

へとつながっていきました。


「家族のため」も、結局は自分の欲なんだよね

対談の中で、稼ぎたい理由の話になりました。

私たちは、お金が欲しい理由を話すとき、つい「家族のために」「子どものために」「誰かを助けたいから」と、きれいな言葉を選びたくなります。

もちろん、それが嘘だという話ではありません。家族を大切にしたい気持ちも、本物です。

すると拓さんが、さらっと言いました。

「『家族のために』っていう理由だから、嘘じゃないって思いたいけど、
『家族のために』って思ってる自分の欲なんだよね」

一瞬、「ああ……」となりました。

確かにそうなんです。

家族にこうあってほしい。
子どもには、こんな暮らしをさせたい。
お金のことで、夫婦がギスギスしない毎日がいい。
家族と好きな場所へ出かけたい。

それは家族のためでもあるけれど、同時に、自分が望んでいる未来でもある。

私も思わず、

「家族がこうあってほしいっていうのは、自分一人の欲でしかないもんね」

と返しました。

拓さんも、

「そうなんだよ。自分のためでしかないんだよね」

と。

言葉だけ聞くと、少し強く感じるかもしれません。

でも不思議と、責められている感じはありませんでした。

むしろ、

「自分のためでも、いいんだ」

と、肩の力が抜けるような感覚でした。

「家族のため」と言わなければ、稼ぎたいと思ってはいけないわけではない。
「人の役に立つため」と言わなければ、豊かさを望んではいけないわけでもない。

自分が楽になりたい。
自分が安心したい。
自分のためにお金が欲しい。

それでも、よかったんです。


正直者の木こりは、本当に欲がなかったのか

そこから拓さんが、急に昔話を出してきました。

「泉に落とした自分の斧を、神様が出てきて、
『あなたが落としたのは銀の斧ですか、金の斧ですか』って言われてね」

ああ、知ってる。

誰もが一度は聞いたことがある、「金の斧・銀の斧」の話です。

木こりが斧を泉に落とす。すると神様が現れて、「あなたが落としたのは金の斧ですか」「銀の斧ですか」と尋ねる。

木こりは正直に、

「いいえ、私の斧は普通の斧です」

と答えます。

そして、その正直さを認められて、金の斧も、銀の斧も、普通の斧も、全部もらえる。

私たちはこの話から、

  • 欲張ってはいけない
  • 嘘をついてはいけない
  • 正直でいれば報われる
  • 良い人でいれば、最後には得をする

と教えられてきました。

すると拓さんが、少し意地悪そうに、でも面白そうに聞いてきました。

「でもね、それって、そういうふうに言った方が得することを知ってるから言うんでしょ」

……あ。

確かに。

私たちは、物語の結末を知っています。

普通の斧を選べば、正直者として認められて、最後には全部もらえる。だから普通の斧を選ぶ。

でも拓さんは、さらに条件を変えてきました。

「その先に、別に何ももらえない。普通に斧が返ってくるだけ。
しかも、金の斧を選んだら金の斧をちゃんともらえる。
っていうのが分かってるとしたら」

そのうえで、

「なお普通の斧ですって言います? あなた」

と。

思わず笑ってしまいました。

でも、笑いながら、かなり困りました。

正直に言うと、

「金の斧って言っちゃうかもしれない」

と思ったからです。

私がそう答えると、拓さんは、

「っていうくらい、あなたの心は汚れてんだよ、そもそもやけどね」

と。

「汚れてる(笑)」

と笑いながら返しました。

でも、その言葉には不思議と嫌な感じがありませんでした。

むしろ、

「そうだよね。人間だもんね」

と、変に納得してしまったんです。


普通の斧を選んだのは、「徳」が欲しかったから

ここで拓さんの言葉が、さらに刺さりました。

「あなたは、私はきれいなんですよっていう徳を取りたいから、
普通の斧を選んだだけや」

一瞬、意味を考えました。

普通の斧を選ぶ人は、欲がない。
金の斧を選ぶ人は、欲深い。

そう思っていました。

でも、本当にそうでしょうか。

普通の斧を選ぶことで、

  • 正直な人と思われたい
  • 良い人だと思われたい
  • 欲張らない人として認められたい
  • 徳のある人になりたい

そう思っているのだとしたら、それも欲です。

私も、

「よく見られたいっていう欲求が勝ってただけなの」

と口にしました。

すると、

「ああ、本当にそうかもしれない」

と、さらに腑に落ちました。

私たちは欲をなくしたわけではなかった。

ただ、金の斧ではなく、“良い人という評価”を選んでいただけ。

お金が欲しいと思う自分は、欲深い。
でも、良い人に見られたい自分は、きれい。

そんなふうに、欲に順位をつけていただけだったのかもしれません。


「人間だもの、仕方ないじゃない」

拓さんは続けました。

「そのくらい、自分の欲に忠実なのよ。
人間だもの、仕方ないじゃない。当たり前じゃん」

強い言い方なのに、どこか温かい。

「欲がある自分を直しなさい」ではなく、

「そもそも、人間なんだから当たり前でしょう」

と言われている。

そのうえで、拓さんはこう続けました。

「でも、その心を持ってないから、いつも損してるのはあなたでしょ。
だから傷ついてきたんでしょ。
普通の斧を選んできたんでしょ」

ここは、笑えませんでした。

胸に刺さりました。

本当は欲しかった。
本当は選びたかった。
本当はもっと豊かになりたかった。

でも、

  • みんなと一緒がいい
  • 人より飛び出してはいけない
  • 稼ぎすぎてはいけない
  • 欲張ってはいけない
  • 私だけ得をしてはいけない

そう思って、普通の斧を選んできた。

そして、受け取れなかったことに傷ついてきた。

「どうして私は報われないんだろう」

と思いながら、報われない方を、自分で選んでいたのかもしれません。


本当は、飛び出したいんでしょ

拓さんはさらに、

「みんなと一緒がいいとか、みんなから飛び出ちゃいけないとか、
稼いじゃいけないとか。
稼がないことを美徳としてるとか、人より飛び抜けないことを美徳としている」

と話しました。

そして、

「努力できないって言ってるけど、
いや、そうじゃなくて、きれいでいたい自分がいたんじゃない?」

と。

ここも痛かった。

「私は努力できなかった」

「私には行動力がなかった」

そう思っていたけれど、本当は、

  • 稼ぎたいと思う自分を認めたくなかった
  • 人より成功したい自分を見たくなかった
  • 欲のある人だと思われたくなかった
  • きれいな自分でいたかった

だけなのかもしれない。

でも拓さんは、その直後に言いました。

「でも本当は、そんなことないじゃない。
だから今、ビジネスやってんでしょ」

私は、

「あ、そう。飛び出したいんだよね」

と返しました。

すると拓さんが、

「飛び出したいんでしょ」

と。

「はい」

としか言えませんでした。

そうなんです。

今のままでいいなら、ビジネスなんて始めない。わざわざ商品をつくらない。発信もしない。お客様に選んでもらおうとも思わない。

心のどこかでは、

  • 今より豊かになりたい
  • 自分の力を試したい
  • 誰かに選ばれたい
  • 好きなことで生きたい
  • 今いる場所から出たい
  • 自分の人生を変えたい

と思っていた。

本当は、飛び出したかった。

なのに同時に、

「飛び出してはいけない」

とも思っていた。

前へ進もうとする自分と、普通でいようとする自分が、ずっと引っ張り合っていたんです。


「だったら許しゃあいいじゃん」

飛び出したい。
稼ぎたい。
欲しいものを受け取りたい。

そんな自分に気づいたあと、拓さんは、ものすごくあっさり言いました。

「だったら許しゃあいいじゃん」

思わず笑いました。

「そうなの?」

と。

こんなに長い間、自分の中で揉めていたのに。

欲しいと思う自分を正当化しようとして、きれいな理由を探して、家族のため、人のため、社会のためと並べて。

でも拓さんからしたら、

「飛び出したいんでしょう?」

「だったら、その自分を許せばいいじゃん」

それだけ。

私は笑いながら、

「金の斧を選べよと。まず金の斧を手に入れろよ」

と言いました。

でも同時に、少し気になることがありました。


金の斧じゃ、木が切れないんじゃない?

私は、

「金の斧では木が切れないな」

と、ふと思いました。

木こりが本当に必要なのは、普通の斧です。金の斧は高価でも、道具としては使いにくいかもしれない。

だから結局、普通の斧の方が自分には合っているのではないか。

そう思ったんです。

すると拓さんは、すぐに返しました。

「そしたら普通の斧買えるやんけ」

あまりにもシンプルで、笑ってしまいました。

さらに、

「だって金の斧が欲しいんじゃなくて、
あなたはお金が欲しいんでしょ」

と。

「お金が欲しい」

と答えると、

「じゃあ金の斧売って、普通の斧買って、
残りのお金で生活したらいいじゃない。
じゃあ余裕持って木こりできるでしょ」

……確かに。

本当に、その通りでした。

金の斧を受け取ったからといって、一生、金の斧で木を切らなければいけないわけではない。

金の斧を売って、普通の斧を買えばいい。残ったお金で、暮らしを整えればいい。

そうすれば、余裕を持って木こりを続けられる。

拓さんは最後に、

「それが、あなたが望んだ世界なんじゃないの」

と言いました。

ここで、話がひっくり返りました。

金の斧を選ぶことは、木こりをやめることではなかった。
豊かになることは、自分らしさを失うことではなかった。
成功することは、大切なものを置き去りにすることでもなかった。

むしろ豊かさを受け取ることで、焦らず、好きな仕事を続けられる。

本当は、それが欲しかったのかもしれません。


私たちは、何を刷り込まれてきたのか

ここから、話は「教育」にまで広がっていきました。

普通の斧を選ぶ。
欲張らない。
飛び抜けない。
身の丈に合ったことをする。

それを、私たちはどこで覚えたのでしょうか。

私は、

「物語の結末を、そもそも知っているからでしょ」

と話しました。

普通の斧を選べば報われる。
金の斧を選べば罰を受ける。

そう教えられてきたから、普通の斧を選ぶ。

すると拓さんが、

「ああ、教育されてたわ」

と。

私は続けました。

「小さな頃から、身の丈に合ったことをしなさいって、勝手に刷り込まれていったのよ」

昔話だけではありません。

  • 家庭で言われたこと
  • 学校で教えられたこと
  • 道徳の授業
  • 周りの大人の反応
  • 社会の空気

そういうものが少しずつ積み重なって、

  • 欲張ってはいけない
  • 人より得をしてはいけない
  • 目立ってはいけない
  • みんなと同じでいなさい
  • 身の丈を超えてはいけない

という前提になっていく。

拓さんは、

「じゃあ、あなたが失敗した原因は、
自分が努力しなかったからとか、そういうことではないんです」

と話しました。

そして私も、

「普通の斧を選ばされてきたのよ」

と。

拓さんが、

「ああ、選ばされてきてた」

と返す。

もちろん、すべてを教育のせいにすればいい、という話ではありません。

でも、

「結果が出なかったのは、すべて私の努力不足だった」

と、自分だけを責めなくてもいい。

欲しいものを選べない前提があった。
飛び抜けないことを、美徳だと思っていた。
受け取らないことを、正しいと思っていた。

それが、行動を止めていたのかもしれない。

だったら今、その常識を覆してもいい。


もし昔話の結末が逆だったら

私たちは、さらに話しました。

もし昔話が、

金の斧と言った人には、本当に金の斧がもらえる。
普通の斧と言った人には、普通の斧しか返ってこない。

そんな話だったら、どうなるだろう。

私が、

「泉の精霊に会った瞬間、『きたー!』ってなるもんね」

と言うと、拓さんも、

「宝くじ当たった、みたいな」

と笑いました。

そうなんです。

物語の結末が違えば、正しいと思う選択も変わる。

つまり私たちは、完全に自分の意志だけで普通の斧を選んでいたわけではない。

「こう選べば報われる」

「こちらを選ぶ人が正しい」

と教えられた結末を、選んでいただけなのかもしれません。

拓さんは、

「じゃあ何を刷り込まれてきたんだい、あなたたちは」

と。

その言葉に、

「本当だよ……」

と思いました。


ビジネスでマインドを学ぶ理由

話はここから、ビジネスでなぜマインドを学ぶのか、というところへ進みました。

拓さんは、

「だからマインドコントロールって、日常にあふれてることに気づいた方がいい」

と話しました。

そして、

「だからマインドを学べって言われるの。ビジネスするときに」

と。

以前の私は、マインドとは、

  • 前向きになること
  • 自信を持つこと
  • 諦めないこと
  • 成功を信じること
  • 行動量を増やすこと

だと思っていました。

でも、この対談で語られていたマインドは、少し違いました。

自分が何を選んではいけないと思っているのかに気づくこと。

  • 稼ぐと嫌われる
  • 人より成功してはいけない
  • 楽をして稼いではいけない
  • 自分だけ受け取るのは申し訳ない
  • 目立つと叩かれる
  • 良い人は欲を出さない
  • みんなと同じでいなければいけない

そういう前提が残ったままだと、どれだけ方法を学んでも、最後のところで自分から普通の斧を選んでしまいます。

  • 高い価格をつけられない
  • 売れそうになると発信を止める
  • チャンスを他の人に譲る
  • 自分の商品を堂々と勧められない
  • 「まだ私なんて」と引っ込む
  • 豊かになる直前で、怖くなって戻る

努力していないわけではない。前へ進みたい気持ちもある。

でも同時に、

「金の斧を選んではいけない」

という前提を守っている。

それでは、苦しくなるのも当然です。


欲しいものを選ぶ自分を、許していい

人より成功したい。
もっとお金が欲しい。
自分の商品を売りたい。
飛び抜けたい。
認められたい。
自由になりたい。

そんな気持ちを持つ自分を、ずっと否定してきたかもしれません。

でも、その気持ちがあったから、今まで動いてこられた部分もあります。

変わりたいと思ったから、学んだ。
豊かになりたいと思ったから、商品をつくった。
誰かに選ばれたいと思ったから、発信を続けた。

それなのに、その欲だけを「汚いもの」「持ってはいけないもの」として扱っていたら、前へ進みたい自分と、止める自分が、ずっとぶつかり続けます。

拓さんの、

「だったら許しゃあいいじゃん」

という言葉。

あまりにもあっさりしているけれど、本当に必要なのは、それなのかもしれません。

欲をなくすことではなく、欲しいと思っている自分を認めること。

飛び出したい自分を、許すこと。

金の斧を選びたい自分を、悪者にしないこと。


あなたが足りなかったのではなく、選べなかっただけかもしれない

これまで結果が出なかったとき、

  • もっと努力すればよかった
  • 私には根性がなかった
  • 途中で諦めた自分が悪かった
  • 行動力が足りなかった
  • 自信がなかった

と、自分を責めてきたかもしれません。

でも本当は、

  • 稼ぐことに罪悪感があった
  • 飛び抜けることが怖かった
  • 成功すると嫌われると思っていた
  • 自分だけ受け取るのが申し訳なかった
  • 良い人でいるために、欲しいものを諦めていた
  • 普通の斧を選ぶことが正しいと教えられていた

そんな前提が、あなたを止めていた可能性もあります。

だとしたら、必要なのは、さらに自分を責めることではありません。

もっと気合いを入れることでもありません。

一度だけ、

私は、どこで普通の斧を選んできたんだろう

と見てみることです。

本当は欲しかったのに、断ったもの。
本当は言いたかったのに、飲み込んだ言葉。
本当はつけたかったのに、安くした価格。
本当は挑戦したかったのに、誰かに譲った場所。
本当は飛び出したかったのに、「私なんて」と小さくした夢。

そこには、あなたが足りなかった理由ではなく、選べなかった理由があるのかもしれません。


今、泉の前に立ったとしたら

もし今、あなたの目の前に泉の神様が現れて、金の斧と、銀の斧と、普通の斧を差し出したら。

あなたは、何を選ぶでしょうか。

普通の斧を選ぶことが悪いわけではありません。

本当に普通の斧が欲しいなら、それでいい。

でも、金の斧が欲しいのに、

「欲張ってはいけないから」

「良い人でいたいから」

「私にはふさわしくないから」

という理由で普通の斧を選ぶのだとしたら、その選択は、本当にあなたが望んでいるものでしょうか。

金の斧を選んだあとで、普通の斧を買ってもいい。

豊かさを受け取ったあとで、好きな仕事を続けてもいい。

成功したあとで、大切な人をもっと大切にしてもいい。

受け取ることと、何かを失うことは同じではありません。

飛び抜けることと、誰かを置いていくことも同じではありません。

もしかするとあなたは、努力できなかったのではなく、ずっと、

金の斧を選んではいけないと思っていただけ

なのかもしれません。