正直者がバカを見る?「普通の斧」を選び続けて損する生き方をやめる方法

なぜ拓さんの話は、失敗してきた人にも信頼されるのか

――正論よりも、人の心を動かすもの

「努力は報われる」

「諦めなかった人だけが、結果を出せる」

「結局は、行動したかどうかです」

こうした言葉を聞いたとき、

「そうだよね」と思う一方で、なぜか少し苦しくなることはありませんか。

言っていることは正しい。

自分でも、そんなことは分かっている。

それなのに、

  • 続きを聞きたくなくなる
  • そっと画面を閉じたくなる
  • 成功した人の話から距離を取りたくなる
  • 「今の私には無理」と感じてしまう

もしかすると、それは正論が嫌いだからではありません。

その言葉を聞くたびに、

  • あのとき、もっと頑張ればよかった
  • 途中で諦めた私が悪かった
  • やっぱり、結果が出なかったのは私のせいだった

と、過去の自分をもう一度責めることになるからかもしれません。

先日、拓さんと話している中で、

「なぜ拓さんの話は、一度ビジネスで失敗した人にも信頼されるのか」

という話になりました。

その対話から見えてきたのは、

人が信頼するのは、
正しい答えを教えてくれる人ではなく、
自分を責めずに、もう一度進める見方を渡してくれる人なのかもしれない。

ということでした。


一度傷ついた人たちが、「拓さんなら信用できる」と言った

話のきっかけは、前日に行われたある場でのことでした。

その場にいた方たちの中には、過去に副業やビジネスへ挑戦した経験を持つ人が何人もいました。

けれど、その経験は必ずしも良いものではありませんでした。

たとえば、

  • 副業を始めたけれど、思うように収益にならなかった
  • 少し売上は出たけれど、かかった時間や手間の方が大きかった
  • MLMに挑戦したけれど、人に紹介できなかった
  • 友人関係を失いそうになった
  • 選んだ商品やビジネスそのものを後悔した
  • 最後には「もっと頑張らなければ」と言われた

一度そうした経験をすると、次にビジネスの話を聞くときは、どうしても慎重になります。

  • また同じことになるのではないか
  • また自分の努力不足を指摘されるのではないか
  • また期待して、傷つくのではないか
  • 今度も、最後は自分の責任にされるのではないか

ただ何も知らない人ではありません。

一度信じて、一度動いて、一度うまくいかなかった人たちです。

だから、最初から少し疑いの側に傾いていても不思議ではありません。

ところが、その場で拓さんの話を聞いた人たちから、

「拓さんだから信用できる」

「その話なら、よっぽど信じられる」

という言葉が出てきました。

それを見て、私は不思議に思ったのです。

まったく知らない人が、拓さんの人柄や実績を知って信頼するなら、まだ分かります。

でも今回は、すでに一度傷つき、疑っている人たちです。

その人たちが、話を聞くうちに信頼へ傾いていった。

これは単に、

  • 話し方が上手だからなのか
  • 実績があるからなのか
  • 拓さんの人柄だからなのか
  • その場の雰囲気が良かったからなのか

私は拓さんに、

「何が違うんだろう?」

と尋ねました。

すると拓さんは、少し意外なところから話し始めました。

「失敗の定義によると思うんですけどね」


人が「失敗」と呼んでいるものの正体

拓さんは、こんなふうに話しました。

「失敗したことを思い返すときって、
自分を責めていることが多くない?」

この言葉を聞いたとき、最初は少し考えました。

失敗とは、単純に、

  • 結果が出なかったこと
  • 思った通りにならなかったこと
  • 選択を間違えたこと

そういう出来事そのものだと思っていたからです。

けれど、実際に過去の失敗を振り返ってみると、そこには出来事以上のものがくっついています。

たとえば、

  • あのとき、もっと努力できたはずなのに
  • なぜ途中でやめてしまったんだろう
  • どうして、あの商品を選んだんだろう
  • 紹介できなかった自分が悪かった
  • もっと慎重に考えるべきだった
  • 私には見る目がなかった

失敗した出来事を思い出すたびに、そのときの自分に厳しい言葉を向けている。

つまり私たちが「失敗」と呼んでいるものの中には、単に結果が出なかった事実だけではなく、

その出来事を使って、今も自分を責め続けている状態

が含まれているのです。

だから、失敗を思い返すと心が重くなる。

思い出したくなくなる。

できれば触れられたくないと思う。

出来事そのものが痛いというより、その記憶に触れるたびに、自分への攻撃が始まるからです。

たとえば、こんなふうに

MLMを経験した人であれば、

「紹介できなかった自分は、行動力がなかった」

と思っているかもしれません。

あるいは、

「なぜ、あんな商材を選んでしまったんだろう」

と、選んだ自分を責めているかもしれない。

友達を失いそうになった経験があれば、

「人間関係まで壊しかけた私は、何をしていたんだろう」

と後悔しているかもしれません。

表面的には、

「もう終わったことだから」

「今はもう気にしていない」

と思っていても、その話を聞いたときに心がざわつくなら、まだどこかに自分への責めが残っています。

失敗とは、出来事ではなく、

自分を責めるきっかけになっている記憶

なのかもしれません。


なぜ成功談を聞くほど、苦しくなるのか

ビジネスの世界では、成功した人がよく、

  • 努力を続けたから結果が出た
  • 諦めなかったから、今がある
  • 誰よりも行動した
  • 継続した人だけが成功する

と話します。

これは、その人にとっての事実です。

間違ったことを言っているわけではありません。

努力したからこそ、今の結果がある。

続けたからこそ、見えた景色がある。

その話自体は正しい。

けれど、過去に一度失敗した人がその話を聞くと、話の意味が少し変わってしまいます。

成功者の言葉が、こう変換される

「この人は努力したから成功した」

が、

「私は努力しなかったから失敗した」

に変わる。

「この人は諦めなかった」

が、

「私は途中で諦めたからダメだった」

に変わる。

「この人は行動した」

が、

「私は行動できなかったから、今も変われない」

に変わる。

話し手は、聞き手を責めているつもりはありません。

ただ自分の経験を話しているだけです。

けれど聞き手の中に、すでに自分を責めている部分があると、その成功談が過去の自分を裁く材料になってしまうのです。

拓さんは、こう話しました。

「その人の成功談を聞いた自分は、
『私は努力してこなかったからなんだよね』
『諦めたから、うまくいかなかったんだよね』
って、より自分を責めません?」

言われてみると、確かにそうでした。

成功者の話を聞いて苦しくなるのは、その人の成功がまぶしいからだけではありません。

自分の失敗の理由を、もう一度確認させられるように感じるからです。

そして、正しい話であればあるほど、

「でも、言っていることは正しい」

と思うので、逃げ場がなくなる。

反論もできない。

でも、聞いているのもしんどい。

だから、

  • もう正論は聞きたくない
  • 分かっているから、言わないで
  • その話は、今の私には受け取れない

と思ってしまう。

正論が嫌なのではありません。

正論によって、また自分を責めるのがつらいのです。


「そんなことは、もう分かっている」

行動した方がいい。

続けた方がいい。

努力した方がいい。

考え方を変えた方がいい。

そんなことは、本人が一番よく分かっています。

分かっているのにできなかったから、苦しい。

分かっているのに続かなかったから、責めている。

分かっているのに変えられなかった自分を、何度も否定してきた。

その状態の人に、

「行動するしかないですよ」

「考え方を変えるしかないですよ」

と言っても、新しい発見にはなりません。

むしろ、

「やっぱり、変えられない私が悪い」

という結論を強くしてしまいます。

自分で、

「私の努力不足だった」

と言うのと、

他人から、

「努力が足りなかったんですね」

と言われるのは、まったく違います。

自分の中ですでに傷になっている場所を、外からもう一度押される。

だから、たとえ正しくても受け取りたくなくなる。

人は正論から逃げているのではなく、

その正論によって、これ以上自分を傷つけることから逃げている

のかもしれません。


拓さんは「あなたの努力不足」に原因を置かなかった

では、なぜ拓さんの話は、同じビジネスの話なのに受け入れられたのでしょうか。

拓さんは、自分自身も過去に失敗したと思い、自分を責めてきた人でした。

だからこそ、

「自分を責め続けても、状況は良くならない」

ということを知っていた。

そして、結果が出なかった原因を、本人の努力不足だけには置きませんでした。

たとえば、

  • 扱っていた商品が合っていなかったのかもしれない
  • そのやり方では結果が出にくかったのかもしれない
  • 必要なことを知らなかったのかもしれない
  • そもそも最初に持っていた前提が間違っていたのかもしれない
  • 本人に合わない環境だったのかもしれない

もちろん、努力がまったく関係ないと言っているわけではありません。

何でも環境や他人のせいにすればいい、という話でもありません。

ただ、

「結果が出なかったのは、すべてあなたの能力や根性の問題です」

という一つの見方から離れる。

それだけで、聞き手の中に別の可能性が生まれます。

「自分を変える」から「選び直す」へ

これまでは、

  • もっと頑張らなければ
  • 自分を変えなければ
  • 根性をつけなければ
  • 弱い自分を克服しなければ

と思っていた。

けれど、

  • 商品が違ったのかもしれない
  • 方法を知らなかったのかもしれない
  • 環境を選び直してもいいのかもしれない
  • 前提から見直してもいいのかもしれない

と考えられるようになる。

すると、改善する場所が変わります。

自分の人格を責め続けるのではなく、方法や選択を見直せるようになる。

「私はダメだった」

ではなく、

「では、次は何を変えればいいだろう」

へ進めるようになる。

このとき初めて、過去の失敗が、

自分の能力不足を証明するものではなく、

大切なことを知るための経験

へと意味を変えるのです。


人は、誰かに許されたのではない

私は拓さんに、

「だから、許される方法だと思って、もっと話を聞きたくなるんですか?」

と尋ねました。

すると拓さんは、

誰かに許されていると思っているわけではない、と話しました。

「この人が私を許してくれた、と思っているわけではない」

もっと重要なのは、

自分で自分を許せる瞬間が訪れること

なのだと。

たとえば、

  • あのときの私は、全部悪かったわけではない
  • 結果が出なかったのには、別の理由もあった
  • 私だけの責任ではなかった
  • もう、あの頃の自分を責め続けなくてもいい

そう思えたとき、人は少し楽になります。

ずっと背負っていたものを、一度だけ床に下ろせる。

本人は、

「今、自分を許した」

と明確に自覚していないかもしれません。

ただ、

  • 心が少し落ち着く
  • 体の力が抜ける
  • その話をもう少し聞きたいと思う
  • この人の言葉なら怖くない気がする

そんな感覚として表れます。

だから、

「もっと早く聞きたかった」

という言葉になる。

もっと早く方法を知りたかった、という意味だけではありません。

もしかすると、

もっと早く、自分を責めなくていい見方を知りたかった

ということなのかもしれません。


共感しているつもりで、自己否定を残していないか

この話を聞きながら、私は自分の発信についても考えました。

相手に共感することは大切です。

たとえば、

  • つらかったですよね
  • 行動できなかった気持ち、分かります
  • 自信が持てなかったんですよね
  • 頑張れなかった日もありますよね

そう言われれば、少し安心する人もいるでしょう。

けれど拓さんは、

「多くの発信は、共感だけで終わっている」

と話しました。

たとえば、

「もっと努力できたらよかったんですよね。
でも、できなかった気持ちも分かります」

という共感。

一見、優しい言葉に見えます。

でもこの言葉は、

「本当は努力すべきだった」

という前提を残しています。

そして、そのあとに、

  • でも、やるしかないんです
  • 考え方を変えるしかありません
  • 今度こそ行動しましょう
  • 自分を変えなければ未来は変わりません

と続けば、結局は元の場所に戻ってしまう。

できなかったあなたにも事情はある。

でも、やはり変わるべきなのはあなたです。

という話になる。

聞き手は、

「分かってもらえた」

と思った直後に、

「やっぱり私が変わらなければいけない」

という自己否定へ戻されます。

私自身も、

「やっていたかもしれない」

と思いました。

共感しているつもりで、相手が自分を責めている前提には触れないまま、最後には行動を促していた。

優しい言葉で包んでいても、中身は正論と変わらなかったのかもしれません。


「優しすぎたから売れなかった」は、本当に救いになるのか

よくある共感の言葉に、

「あなたは優しすぎたから、売れなかったんですよね」

というものがあります。

一見すると、相手を肯定しているように見えます。

売れなかったのは能力がなかったからではなく、優しかったから。

そう言われれば、少し救われるようにも感じます。

でも、この言葉には別の前提が隠れています。

  • 優しい人は売れない
  • 成功するには、優しさを捨てなければならない
  • 売るためには、今の自分ではいけない

という前提です。

優しい自分のままでは、ビジネスはできない。

売るためには、自分らしさを変えなければいけない。

そう感じたら、ビジネスそのものが嫌になってしまいます。

こんな二択になってしまう

  • 自分の優しさを守れば、売れない
  • 売れようとすれば、自分らしさを失う

でも、本当に必要なのは、この二択ではありません。

共感は、相手を肯定すればいいわけではない。

どこに共感するかによっては、本人が動けない理由を強めてしまうこともあるのです。


拓さんが共感したのは、「きれいな部分」ではなかった

拓さんがその場で拾っていたのは、人に見せやすい、きれいな理由だけではありませんでした。

たとえば、

  • 家族のために稼ぎたい
  • 誰かの役に立ちたい
  • 困っている人を助けたい
  • 大切な人を幸せにしたい

もちろん、それらも本当の気持ちです。

でも、人の心にはそれだけではない部分もあります。

  • 遊びたいから稼ぎたい
  • 楽になりたい
  • お金が欲しい
  • 人より豊かになりたい
  • 注目されたい
  • 飛び抜けたい
  • 綺麗事を言いたくない
  • 自分のために働きたい

多くの人が口に出すことをためらう、少し「横しま」に見える本音です。

拓さんは、そこを否定しませんでした。

「遊びたいから稼ぎたい。
それでいいじゃない」

「人を稼がせるのに、
なぜ綺麗事を言わなければいけないのか」

そんな話をしたとき、参加者から、

「その方がよっぽど信じられる」

という反応が出たのです。

なぜ、きれいな言葉よりも、横しまな本音の方が信頼されたのでしょうか。

それは、

聞き手が隠していた自分を、否定されなかったから

です。

「お金が欲しいと思う私は、浅い人間なのではないか」

「楽をしたいと思う私は、怠け者なのではないか」

「人より成功したい私は、欲深いのではないか」

そんなふうに、自分で責めていた部分を見抜かれた。

それでも、

「そんなものですよ」

「それでいいでしょう」

と言われた。

人は、きれいな自分を褒められたときよりも、

隠していた自分を見つけられ、
それでも否定されなかったとき

に、深い安心を感じるのかもしれません。


「家族のため」も、自分の願いでいい

私たちは、稼ぎたい理由を話すとき、つい、きれいな言葉を探します。

  • 家族のため
  • 子どものため
  • 夫を楽にするため
  • 誰かを幸せにするため
  • 社会の役に立つため

もちろん、それは嘘ではありません。

家族を大切にしたい気持ちも、本物です。

けれど、

  • 家族にこうなってほしい
  • こんな暮らしをしたい
  • 安心して過ごしたい
  • 子どもに選択肢を与えたい

というのは、自分自身の願いでもあります。

家族が安心している姿を見て、自分も安心したい。

家族と豊かに暮らす自分でいたい。

それも一つの欲です。

でも、欲だから悪いわけではありません。

誰かのためと言わなければ、お金を求めてはいけないわけでもない。

社会貢献につながらなければ、豊かさを望んではいけないわけでもない。

  • 自分が楽になりたい
  • 自分が好きなものを買いたい
  • 自分が安心して眠りたい
  • 自分の時間が欲しい
  • 自分の力を試したい
  • 自分の人生をもっと広げたい

それも、十分に生きる理由です。

自分のために望むことを否定すると、人は自分の本音から離れていきます。

そして、本当は欲しいのに、

「これは家族のためだから」

「誰かの役に立つから」

と、許可を出すための理由を探し続けます。

でも、もしかすると最初から、

自分のために欲しいと思ってよかった

のかもしれません。


人の心を動かすのは、正しさよりも「前提の書き換え」

拓さんの話が信頼された理由は、話し方のうまさだけではありませんでした。

成功するための正解を、上から教えたからでもありません。

拓さんは、

「あなたの努力が足りなかった」

という、聞き手がすでに自分に向けている言葉を重ねませんでした。

その代わりに、

  • 本当に原因は、それだけだったのだろうか
  • 扱っていたものはどうだったのか
  • 方法を知っていたのか
  • 環境は合っていたのか
  • そもそも、どんな前提を持って動いていたのか

と、違う角度から見せた。

そこで起きていたのは、

「もっと頑張ろう」

という気合いではありません。

「私は全部悪かったわけではなかった」

という、前提の書き換えです。

自分を責めることに使っていた過去を、次の選択に使える経験へ変える。

それが、聞き手にとっての救いになった。

だから、

  • この人の話なら聞ける
  • もっと聞きたい
  • もっと早く知りたかった
  • この人なら信頼できる

という感情につながったのだと思います。


人は「正しい人」ではなく、自分を責めなくて済む人を信頼する

相手に変わってほしい。

動いてほしい。

良くなってほしい。

そう思うほど、私たちは正しい言葉を渡したくなります。

  • 続けた方がいい
  • 行動した方がいい
  • 考え方を変えた方がいい
  • もっと自分を信じた方がいい

でも、その人がすでに、できなかった自分を責め続けているのだとしたら。

必要なのは、新しい正論ではないのかもしれません。

必要なのは、

  • あのときの自分は、全部悪かったわけではない
  • 別の見方もできる
  • ここから選び直していい
  • 自分を責めなくても、改善はできる

そう思える言葉です。

人は、誰かに許してもらったから動けるのではありません。

自分で自分を許せたときに、初めて次の選択ができる。

そして、その瞬間をつくってくれた人を信頼する。

拓さんとの対話を通して、私はそんなことを感じました。

あなたが過去の失敗を思い出すとき、今もその出来事を使って、自分を責めてはいないでしょうか。

そして、誰かに言葉を届けるとき、その言葉は相手の自己否定をほどいているでしょうか。

それとも、優しい形をしながら、

「やっぱり、変わるべきなのはあなたです」

と伝えているでしょうか。

すぐに答えを出さなくても大丈夫です。

ただ少しだけ、自分が責め続けてきた過去を、別の角度から見てみてください。

そこには、努力不足とは違う理由が隠れているかもしれません。


次回予告

あなたはなぜ、金の斧ではなく「普通の斧」を選び続けてきたのか

では、なぜ私たちは、

  • お金が欲しい
  • 豊かになりたい
  • 人より飛び抜けたい
  • もっと自由になりたい

という本音を、これほどまでに言いにくいのでしょうか。

対談はここから、誰もが知っている「金の斧・銀の斧」の昔話へと進んでいきました。

正直な木こりが選んだ「普通の斧」。

でも、もし金の斧を選べば、本当に金の斧がもらえるとしたら。

それでも私たちは、普通の斧を選ぶのでしょうか。

次回は、

私たちが幼い頃から、
「欲しいものを選ばないように」教えられてきた可能性

についてお届けします。