「相談しやすい人」で終わらない――ファンが育つ言葉のつくり方【1】

決めつけないのに、立ち位置が見えてくる

こんにちは、ちゆきです。

誰かの役に立ちたくて、発信を続けてきた。

自分が悩んできたことを言葉にして、同じところで立ち止まっている人に届けてきた。

「分かります」
「私もそうでした」
「無理しなくていいですよ」

そんな言葉を大切にしてきた人ほど、ふと感じることがあるかもしれません。

相談はされる。共感もしてもらえる。
でも、なぜか「この人から学びたい」にはつながらない。

伝えている内容が間違っているわけではない。

むしろ、ちゃんと相手のことを考えているし、正しいことも言っている。

それなのに、商品を紹介すると反応が薄くなったり、講座を案内すると静かになったりする。

「私の伝え方が下手なのかな」

「もっと優しく書いた方がいいのかな」

「まだ信頼されていないのかもしれない」

そんなふうに、自分の言葉を何度も直してきた人もいると思います。

でも今回、拓さんとの対話で見えてきたのは、文章の上手さとは少し違う話でした。

もしかすると相手が離れていくのは、正しくないからではなく、

相手の立ち位置を、こちらが先に決めてしまっているからかもしれない。

そんな、少し耳の痛い話です。


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同じ内容なのに、なぜ拓さんの言葉だけ深く入ってくるのか

この対談の前日、拓さんのZoomで、

  • 有料と無料の境界
  • 仲間外れが生む特別感
  • 発信者のポジション
  • 錯覚資産
  • お客様が自分から近づきたくなる構造

といった話を聞いていました。

どれも、まったく知らない言葉ではありません。

似たような話を、別の講座や発信で聞いたこともある。

それなのに、拓さんから聞くと、なぜか抵抗なく入ってくるんです。

しかも、優しい話ばかりではありません。

「うっ……それ、私のことかも」

「そこは見たくなかったな」

と、胸の奥にグサッとくることも多い。

それでも、不思議と逃げたくならない。

むしろ、

「もう少し聞きたい」
「ここで止めたら、あとで後悔する気がする」

と思ってしまうんです。

「同じような内容を話している人は、ほかにもいるじゃないですか」

そう聞いてみました。

「でも、拓さんの話は、なんか入り方が違うんですよね。耳が痛くても、聞いていたくなるというか」

すると、対話は「何を話しているか」ではなく、どの位置から話しているのかという話へ進んでいきました。


「多くの人はね」が、見えないポジションをつくる

拓さんは、よくこんな言い方をします。

「多くの人は、こう考えるんですよね」

「大体の人は、ここで止まるんですよ」

「ほとんどの人が、同じことをやってしまいます」

この言葉を聞いていると、自然に二つの立ち位置が見えてきます。

  • 多くの人がいる側
  • その構造を理解している側

「僕は少数派です」

「あなたたちは多数派です」

とは、一言も言っていません。

それでも聞き手の中には、

「私はどちら側だろう」

という問いが生まれます。

そして同時に、拓さんが「多くの人とは違う視点を持っている人」として見えてくる。

決めつけていないのに、位置関係は伝わっている

ここが、私にはかなり衝撃でした。

以前、別の場所で、

「自分は少数派だと認識させることが大切です」

「相手は多数派側にいると、教えてあげなければいけません」

という話を聞いたことがあります。

言っていることは、理屈としては分かります。

ただ、実際にその伝え方をされると、どこか引っかかる。

「あなたは、まだ分かっていない側です」

「私は知っているけれど、あなたは知らないですよね」

そう言われているような気がしてしまうんです。

すると心の中で、すぐに反論が始まります。

  • でも、私はここまではできている
  • 何も知らないわけではない
  • 私なりに頑張ってきた
  • 完全にそちら側ではない
  • 一括りにされたくない

誰かに「あなたはこちらです」と置かれた瞬間、内容より先に、自分の立場を守りたくなってしまう。

これ、発信を受け取る側としては、すごくよく分かる感覚です。


人は、自分の位置を自分で決めたい

私がその違いに気づけた理由について、拓さんは、

「受け取り手の感覚を持ってるからやと思うよ」

と言いました。

発信者の論理だけで考えれば、

「こちらが少数派で、相手が多数派だと分からせる」

という設計になる。

けれど、実際に受け取る人の心は、そんなに単純ではありません。

「多数派」と言われても、その中にはいろいろな人がいます。

まだ何も知らない人もいれば、学び始めた人もいる。

知識はあるけれど実践できていない人もいれば、一部分だけは越えている人もいる。

白か黒かではなく、濃淡のあるグラデーションです。

それなのに、

「あなたは多数派です」

と外側から決められてしまうと、自分の中にある小さな前進まで無視されたように感じてしまう。

「人って決められるの嫌いだから」

うっ。

短いけれど、かなり耳が痛い言葉でした。

なぜなら、私も良かれと思って、

「あなたは、こういうタイプですね」

「今のあなたは、ここにいます」

「だから、これをやった方がいいです」

と伝えてきたことがあったから。

相手を分かりやすく導いているつもりでした。

迷わせないために、答えを見せているつもりだった。

けれど、その親切が相手にとっては、

「私のことを、勝手に決めないで」

という違和感になっていた可能性もあるんですよね。

決めるのは、あくまで本人

拓さんの話には、最初から、

「決めるのは本人だよ」

という前提があります。

だから、

  • あなたはこのタイプ
  • あなたは間違っている
  • あなたはできていない
  • あなたは多数派側

とは決めない。

「多くの人はこうなります」

「大体の場合は、ここで止まります」

と、構造だけを見せる。

その話を聞きながら、本人が、

「もしかしたら、私にも当てはまっているかもしれない」

「ここはできているけれど、この部分はまだかも」

「私は今、どの辺りにいるんだろう」

と、自分の位置を確認していく。

答えを渡されるのではなく、自分で見つける余白が残っている。

だから、押し付けられた感じがしない。

「やらなければ」ではなく、

「それなら、やってみようかな」

に変わっていくんです。


自分で決めたい。でも、自分だけの責任にはしたくない

ここで話は、さらにややこしい人間心理へ進みました。

人は決められるのが嫌い。

自分のことは、自分で決めたい。

ここまでは分かります。

でも拓さんは、続けてこう言ったんです。

「自分で決めたいんですよ。決めたいんだけど、自分で決められないから、他人のせいにして決めたい」

「えっ。他人のせいにして決めたいんですか?」

思わず聞き返しました。

だいぶ身勝手な話に聞こえます。

でも、少し考えると、思い当たることがありました。

何かに挑戦するとき、人は無意識に「失敗したときの理由」を探しています。

  • このノウハウを教えた人が悪かった
  • 家族が協力してくれなかった
  • 子どもがいて時間が取れなかった
  • 忙しい時期と重なってしまった
  • 環境が整っていなかった

もちろん、本当に環境が原因になることもあります。

ただ、その理由を残しておけば、失敗したときに、

「すべて私の判断ミスだった」

と思わずに済む。

自分の価値まで傷つけなくていい。

決めたいけれど、間違えた自分にはなりたくない

人は、自分には価値があると思っていたい。

完全に間違った人間だとは認めたくありません。

だから自分で選びたいのに、選択を支える「誰かの言葉」も欲しくなる。

「あの人が言っていたから」

「あの講座で教わったから」

「みんながやっていたから」

それを理由に動けば、自分で選んだ感覚を持ちながら、責任を少し外側にも置ける。

少しずるく聞こえるかもしれません。

でも、これは意志の弱さというより、自分を守ろうとする人間の自然な動きなのだと思います。

だからこそ発信者が、

「あなたはこうすべきです」

と答えを決めすぎてしまうと、うまくいかなかったとき、その発信者が責任を背負うことにもなる。

一方で、何も示さなければ相手は動けません。

その間にあるのが、

構造は見せる。けれど、最終的な位置と選択は本人に返す

という伝え方でした。


多数派だと気づいた瞬間、少数派へ移り始めている

拓さんが、

「大体の人は、こう考えるんですよね。だから、うまくいかないことが多いんですよ」

と話したとします。

聞いている人は、

「もしかしたら、私も大体の人に入っているかも」

と気づきます。

普通なら、ここで少し落ち込むはずです。

「私は、うまくいかない側だったんだ」

「やっぱりできていなかったんだ」

と。

でも同時に、もう一つの感覚が生まれます。

今の私は、多数派が知らなかった話を聞いている。

  • 今まで知らなかった構造を知った
  • うまくいかない理由に気づいた
  • 次は違う選択ができるかもしれない
  • ここから多数派を抜けられるかもしれない

「私はまだ多数派かもしれない」という認識と、

「でも、少数派側へ入り始めている」という期待。

その二つが、同時に存在するんです。

だから耳が痛くても、話を聞き続けられる。

責められて終わるのではなく、今から位置を変えられる感覚があるから。

「私、今ここで逃げたら、絶対後悔するなって思ってるんですよ」

そう口にしたとき、なぜ拓さんの話から逃げたくならないのかが、少し分かった気がしました。

痛いところを見せられているのに、そこには出口もある。

過去はそうだったかもしれない。

でも、今はもう知っている。

次は変えられる。

その感覚があるから、怖くても続きを聞きたくなるんです。


有料と無料の境界が、特別感を現実にする

ここで、前日に聞いた「有料と無料を分ける」という話にもつながりました。

言葉だけでも、

「私は、多くの人が知らない話を聞いている」

という感覚は生まれます。

けれど、そこに現実的な境界が加わると、特別感はさらに強くなる。

  • お金を払った人だけが聞ける
  • その時間に参加した人だけが知れる
  • 行動した人だけが入れる
  • 来た人にしか渡されない情報がある

誰でも無条件に入れる場所ではない。

自分は時間やお金を使い、選んでここに来た。

その事実が、

「私は、もう以前と同じ場所にはいない」

という感覚を補強してくれます。

無料が悪く、有料が偉いという話ではありません。

すべてを同じ場所へ置いてしまうと、聞き手が「自分は一歩進んだ」と実感できる境界まで消えてしまう、ということ。

特別感は、派手な演出でつくるものだと思っていました。

でも実際には、言葉と仕組みの両方から、

「あなたは今、ここにいる」

と感じられるようにすることなのかもしれません。


拓さんは否定していない。勝手に刺さっているのは聞き手

話を聞いていると、ときどき、

「あれって、○○さんの話ですよね」

「あの人のことを言ってるんじゃないですか?」

と、誰かの顔が浮かぶことがあります。

私たちがそんなふうに確認すると、

「そんなつもり一切ないのよ」

と返ってきます。

「勝手に刺さってるのは、あんたたちなのよ」

……うっ。

これもまた、グサッとくる。

でも確かに、拓さんは、

「○○さんが悪い」

とは言っていません。

話しているのは、

  • 多くの人が陥る考え方
  • 人間が無意識にやってしまうこと
  • 失敗しやすい構造
  • 過去に実際にあった事例

です。

そこへ自分や身近な人を重ねているのは、聞き手の側。

「あなたが悪い」とは、一言も言っていない

「多くの人は、こうなります」

「ほとんどの人がやっています」

「だから、別に珍しいことじゃないんですよ」

そう言われると、

「私もやっていたかも」

と認めやすくなります。

そして認めたあとも、

「ほとんどの人がそうだから、あなた一人だけがダメなわけじゃない」

という場所へ戻してもらえる。

直接責められていないから、自分で気づける。

気づいたあとも、完全に否定された気持ちにならない。

人を否定せずに、その人がやっていることだけを見せる。

言葉にすると簡単ですが、私はこれまで、人と行動を一緒に評価してしまうことがありました。

「この行動はうまくいかない」

と伝えるつもりが、

「そんな行動をしているあなたは、まだ分かっていない」

という空気まで乗せてしまう。

相手が傷つくのは、内容が厳しいからだけではない。

自分の存在まで否定されたように感じるからなのだと思います。


名指しされるのは、「失敗した人」ではなく越えてきた人

複数人がいる場で、拓さんが誰かの名前を出すことがあります。

でも、失敗を暴露して恥をかかせるような名指しではありません。

名前が出るのは、

  • 過去の失敗を、本人が受け止めている
  • 同じ失敗を繰り返さないと腹落ちしている
  • その経験を、後輩の学びとして渡せる
  • 失敗した自分ではなく、越えてきた自分として立てる

そんな人です。

「僕が名指しするときは、その人はグラデーションが濃くなってる」

失敗した人として紹介するのではなく、

失敗を越えた先輩として、位置を上げている。

同じ失敗談でも、扱い方によってブランディングは大きく変わります。

何度も同じ失敗を繰り返している人として見せるのか。

それとも、その経験を通ってきたからこそ語れる人として見せるのか。

過去の出来事がブランドを壊すのではありません。

今、その出来事をどの位置から語っているか。

そこが見られているんですよね。


悪い例で顔が浮かぶなら、そのブランディングは終わっている

ここから、話はかなり厳しい方向へ進みました。

ある失敗例を聞いたとき、周りの人から、

「あれって、ちゆきさんのことじゃない?」

と思われていたとしたらどうなるのか。

「それ、ちゆきさんのことじゃないって言われてたとしたら、そのブランディング終わっとる」

うわあ……。

これはもう、笑ってごまかしたくなるくらい痛い。

できれば聞かなかったことにしたい言葉でした。

でも、なぜ悪い例を聞いただけで、特定の人の顔が浮かぶのでしょう。

一度失敗したからではありません。

周囲の潜在意識の中に、少しずつ、

  • また同じところで止まりそう
  • いつもいっぱいいっぱいになっている
  • 任せるのは少し不安
  • また途中で動けなくなりそう
  • うまくいかない人という印象がある

そんなイメージが積み上がっているからです。

本人には、悪気も自覚もありません。

一生懸命やっているし、毎回ちゃんと悩んでいる。

弱い自分も見せながら、親しみやすい発信をしているつもりかもしれません。

でも、その見せ方が繰り返されると、

「共感できる人」ではなく、「心配になる人」

として記憶されてしまうことがある。

この違いは、とても大きいです。


大人は、わざわざ教えてくれない

もし発信や振る舞いによって、周囲から心配されるポジションになっていたとしても、多くの人は本人に伝えません。

なぜなら、

  • 傷つけたくない
  • 面倒なことに関わりたくない
  • 言っても受け入れてもらえないかもしれない
  • その人の選択だから、口を出さない方がいい

と考えるから。

悪意があるわけではありません。

静かに距離を置くだけです。

「先生は言ってくれると思うよ」

「でも残念ながら、周りの人たちはそんなことわざわざ言ってくれないよ。っていうのが、大人の世界でしょ」

これも、かなり怖い話でした。

嫌われているなら、まだ気づけるかもしれません。

批判されたなら、見直すきっかけもあります。

でも実際には、何も言われないまま、

  • 商品を買われない
  • 紹介されない
  • 大切な仕事を任されない
  • 発信を追われなくなる

という形で、評価だけが表に出てくる。

「最近、反応が薄いな」

「どうして選ばれないんだろう」

と思っても、その原因を直接教えてくれる人はいません。

だからこそ、耳の痛い指摘を受けたときに、

「否定された」

だけで閉じてしまうと、本当に見なければならないものまで見えなくなるんですよね。


心配される人の商品は、選ばれにくい

相談しやすい。

親しみやすい。

気持ちを分かってくれる。

それは、とても大切な魅力です。

けれど、その親しみやすさの奥で、

「この人に任せて大丈夫かな」

と思われていたら、購入にはつながりにくくなります。

お客様は、商品だけを見ているわけではありません。

その商品を届ける人が、

  • 最後まで導いてくれそうか
  • 困ったときに落ち着いて判断できそうか
  • 自分より少し先の景色を見ているか
  • この人についていけば変われそうか

ということも、無意識に感じ取っています。

「この人も私と同じように悩んでいる」

という共感は生まれても、

「この人に連れていってほしい」

という安心がなければ、相談相手の位置で止まってしまう。

ここで初めて、長年感じていた違和感が言葉になりました。

「相談しやすい人」と、
「この人から学びたい人」は、同じではない。

私は、相談しやすい人になることを大切にしてきました。

読者の目線へ下りて、気持ちを代弁して、怖さや迷いを分かろうとしてきた。

それ自体が間違いだったとは思いません。

きっと、その言葉に救われた人もいたはずです。

ただ、相手と同じ場所まで下りたあと、

「私はここから、こうやって進んできたよ」

「この先には、こんな景色もあるよ」

と見せることができていたか。

そこは、少し考えてしまいました。

優しくなかったから、選ばれなかったわけではありません。

寄り添う力が足りなかったわけでもない。

もしかすると、

相手と同じ場所に立つことには成功しても、
その先の景色を見せ切れていなかったのかもしれない。


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今日の気づき

  • 人は、外側から自分の立ち位置を決められると抵抗したくなる
  • 「多くの人は」と構造を見せると、本人が自分の位置を考えられる
  • 耳が痛くても聞き続けられるのは、今から位置を変えられる感覚があるから
  • 親しみやすさが「心配される人」に変わると、商品は選ばれにくくなる
  • 共感することと、相手と同じ位置に立ち続けることは違う
  • 過去の失敗は、越えた位置から語ることで信頼へ変えられる

次の一歩

最近の発信を、一つだけ読み返してみてください。

その文章の中で、読者に対して、

「あなたはこういう人です」

「あなたは今ここにいます」

と、こちら側から位置を決めている言葉はないでしょうか。

すぐに直さなくても大丈夫です。

まずは、

この文章を読んだ人は、自分で自分の位置を考えられるだろうか。

そこだけを、少し眺めてみてください。

答えを与えることより、相手の中に問いが生まれること。

もしかすると、その余白が「もう少しこの人の話を聞きたい」の始まりになるのかもしれません。


次回予告

今回、私は、

「寄り添ったあとに、未来の位置を見せられていなかったのかもしれない」

というところまで気づきました。

ところが次の瞬間、さらに衝撃的な事実が発覚します。

私はこれまで、挑戦する人を励ますために、

「ダメ元でやってみたらいいじゃん」

と伝えてきました。

失敗しても大丈夫。

怖くても、一歩動いてみよう。

そんな前向きな意味で使っていた言葉です。

けれど拓さんから見ると、その言葉は――

挑戦する前から、すでに「ダメになる未来」を描いていました。

なぜ、励ましていたはずの言葉が、相手を失敗する側へ戻していたのか。

そして「寄り添いすぎる」という言葉の、本当の意味とは。

この話の続きは、第2話でお届けします。

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